【考察】Ghost of Yōtei に見るアイヌ民族の歴史

Ghost of Yōtei
出展:古代蝦夷風俗之図
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こんにちは、とらおです。
今回は Ghost of Yōtei をより深く味わうために、アイヌ民族江戸幕府(松前藩)との歴史的関係を、当時の生活・文化から侵略の実態までまとめていきます。
本作ではアイヌを侵略する斎藤が悪、共生を望む松前藩が善というように描かれていますが、実態では松前藩によるアイヌ侵略が着々と進んでおりました。この記事が、Ghost of Yōtei の時代背景をより立体的に感じられる手助けになれば幸いです。

松前藩が来る前:アイヌ民族の暮らし

松前藩が蝦夷へ来る以前のアイヌ社会は“支配者も階級もない共同体社会”でした。

アイヌ社会は小規模な集落(コタン)で構成されており、長にあたる存在(エカシ)はいましたが、階級支配はありませんでした。相談と合意で運営がされており、現代の いわゆる”町内会”に近い構造を取っていました。

エゾシカやヒグマなどの狩猟、サケなどの漁業が生業の中心。自然と共生し、「すべての存在にはカムイ(神)が宿る」という世界観のもと、自然と共に生き、無能な殺生は行わないという暮らしをしていました。

Wikimedia Commons – Ainu people / traditional dwellings (public domain)
Wikimedia Commons – Ainu hunters, 19th century photographs

和人との接触:交易と支配の始まり

16世紀後半、和人(本州の商人)が増え始めると、交易のルールを和人側が握り始めます。アイヌの毛皮・海産物は安く買い叩かれ、和人が提供する米・酒・鉄器は高額で取り引きされます。また和人は蝦夷各地に交易場を設置。交易場が増えるほど、アイヌの生活領域に和人が“定住”する構造が生まれ、和人がアイヌの土地を徐々に侵略、公平な交易から支配に変容していきます。

商場知行制という制度的侵略

松前藩が成立すると、支配はより加速していきます。当時、各藩の力は石高(米の収穫量)で測られていましたが、松前藩は農地を持っていませんでした。しかし藩を運営するには元手が必要になります。では何を収益源としているのか。松前藩は藩士への給金を商業地行制に基づいたアイヌとの交易利益で贖っていました。

▼ 商場知行制とは?
藩士に「商場」というアイヌ地域を分配。その商場での交易利益が藩士の収入となる制度のこと。藩士は商場から搾取すればするほど儲かる構造となっており、実質的に“植民地支配”が制度化されました。

つまり、「アイヌは松前藩士にとって“資源”そのもの」というシステムだったのです。

労働・文化・女性への支配が加速

交易支配が強まり、やがて生活そのものが奪われていきます。

ニシン漁への動員や冬季の労働を強制し、報酬は米や酒などの現物支給。まさにGhost of Yōtei で斎藤一派がアイヌへ強制していたような所業ですが、史実では松前藩がアイヌに対して行っていたのです。
またアイヌの文化である儀礼やアイヌ語の禁止、漁場の独占などアイヌの文化も弾圧。和人商人の現地妻制度や強制婚姻、性的強要など女性を対象とした搾取など、まさに植民地に対し行う非道な行為が台頭します。アイヌから自由・文化・伝統・尊厳を奪い、深い傷を残しました。

シャクシャインの戦いと松前藩の裏切り

Wikimedia Commons – Portrait of Shakushain (public domain)

    1669年、アイヌは大規模な反乱を起こします。不平等な交易、労働強制、土地の支配から脱するためについにアイヌが立ち上がります。リーダーの名前から後に「シャクシャインの戦い」と呼ばれます。これはみなさんも学校で習ったことがあるのではないでしょうか?
    シャクシャインによる反乱を受け、松前藩は和睦を持ち掛けます。シャクシャインもこれに応じますが、会談のための主席の場で、松前藩はなんとシャクシャイン側の首長を暗殺。これにより大同盟は崩れ、反乱は瓦解しました。

    幕府直轄と蝦夷地の軍事化

    18世紀末、ロシアの南下政策が本格化すると、幕府は蝦夷地を“軍事防衛の最前線”として扱うようになります。

    ■ 1799年:東蝦夷地(胆振・日高・羊蹄山周辺)を直轄
    ■ 1807年:全蝦夷地を直轄

    この結果、和人の軍事拠点の増加・アイヌへの同化政策・漁場や土地の独占化が一気に加速し、最終的にアイヌは本土の手に落ちてしまうこととなりました…。

    最後に Ghost of Yōtei の結末は…

    いかがでしたでしょうか?プレイヤー自身が篤として冒険している際には、アイヌ人を虐げ、村落を占拠し、理不尽な蛮行を行う斎藤一派は明確な悪に見えたのではないでしょうか?
    一方で、斎藤に立ち向かい、交易を行い、おまけに弟が属している松前藩は正義に見えたのではないでしょうか?
    ですが史実と照らし合わせると、少なくともアイヌの視点では、この印象は大きな誤りだったのです。篤が成し遂げたのは私怨の精算と、支配者を入れ替えただけだったのです。
    アイヌから見た本作は、本当にハッピーエンドと言えるのでしょうか?

    ここまでご覧いただきありがとうございました。

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