【考察】デススト2に見る小島監督のメタルギア愛

ゲーム
引用:『DEATH STRANDING 2 : ON THE BEACH』 | プレオーダートレイラー
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こんにちはとらおです。今回はDeath Stranding 2:on the Beach(デススト2)から感じる小島監督のメタルギア愛について記事にしたいと思っています。本記事の内容は、あくまでもゲームプレイをする中で、私が感じたことなので、監督の感想に何のエビデンスもありませんのご了承ください。


デススト2が発売されてから半年弱、私がクリアしてから2.3ヶ月くらい?まだまだ余韻を引きずっております。近々2025年ゲームランキングもまとめようと思っていますが、デススト2はおそらく上位に食い込んでくるでしょう。
今なお続く余韻の背景には、作り手の想いが関係しています。デススト1はもちろん、MGSシリーズや映画やその他あらゆるコンテンツのオマージュが含まれており、プレイヤーに「おっ」と思わせる工夫が多数なされているように感じます。プレイヤーの気づきが余韻になっていくわけです。
今回は作中に登場したメタルギアソリッドシリーズ(MGS)関連に絞って、ご紹介していきます。他にもこんなものに気付いたという方は是非教えてください。

痕跡を残せ 背負うミッションの対比

MGSでは可能な限り痕跡を消すことを是とします。潜入を悟られずに核発射を阻止することがスネークのミッション。一方でサムのミッションは他ポーターのために繋がりを作ること。配達時にサムが作った足跡や造った建設物が、道となり繋がりとなっていきます。スネークとは異なり、痕跡を積極的に残すことがミッションとなっていきます。
(デススト1でのセリフですが)配達をするサムにダイハードマンはこんな言葉を送ります。

サム、君が歩いた痕跡がわかる。
振り返ってみろ、そこに道ができる。
君がスパイや特殊工作員なら、もう失格だ。
だが君はそうじゃない。
君がつけた痕跡は、君が存在することの証だ。
君が歩いた証拠を残せ。
それは人々に勇気を与え、やがて道になって人々を繋いでいく。

このセリフはサムとスネークの目的が対照的に描かれていることを示しています。
これはMGSが好きで小島監督が好きだから、という理由でデスストを始めた小島監督からの啓蒙とも受け取れます。

麻酔銃やカモフラージュなどのステルスアクション

一方でサムとスネークの共通点もあります。それは敵に見つかってはいけないという点です。スネークは敵組織の基地に、サムはミュールのアジトや座礁地帯に飛び込んでいきます。そのような中で求められるのは、共にステルスです。

音を殺し、視界に入らず、息を潜める-

これはいずれも2人の孤独を示唆しており、複数の敵の中、独り目的を達成することは、世界観は違っても共通しています。スネークは単独潜入、サムは自身による繋がりの断絶により孤軍奮闘となります。またステルスも手段を類似しており、服装を変え、周囲の環境に溶け込むカモフラージュや発砲音を抑えた非殺傷武器の麻酔銃など。これらの要素がサムとスネークの類似点を色濃くしています。
一方で、独りでは無い時は2人ともド派手。スネークはEVAとのバイクアクションやアウターヘイブンの突入。サムはDHVマゼラン/クルー達と共闘したターミナルフォートノットへの到達。2人とも孤軍でなくなった途端、強行突破に出ます。いずれのシーンも物語のクライマックスであり、物語を通して築いてきた仲間との信頼として描かれているように感じます。

殺人は御法度

上記とも重なる部分もありますが、たとえ相対する敵であっても殺してはいけないという点も類似しています。MGSでは、人を殺す行為は痕跡を残す行為であり、デスストではBTの出現、ひいては対消滅のリスクを生む行為です。これは個人的な緻密な設定だなあと思いました。

MGSでは潜入とするミッションの特性上、人を殺してはいけない。は納得できる理由ですし、敵の殺傷=物事を円滑に推進するものでは無いという、プレイヤーのゲーム倫理観を醸成しています。一方で、デスストのミッションは配達。配達というテーマだけ見れば殺傷は弊害になりませんが、そこに世界観が加わることで、一気にハイリスクになります。殺傷を繰り返すことで、サム自身や(ゲーム設定では)後のポーターにとって不利益となる。これもまたゲーム倫理観の獲得に一役買っています。

一時期、イリーガルなゲームをしていると現実での性格も凶暴になると煽るようなニュースもありましたね。これらのゲームは、そのようなニュースで報じられるゲームとは異なる性格をしています。目的を達成するために乱暴な手法を用いると目的は遠くなる、これもまた小島監督からの啓蒙とも言えそうです。
※もちろんそんなニュース自体馬鹿らしい話ですが。

ソリッド?ネイキッド? ニール・バナの様相

引用:『DEATH STRANDING 2 : ON THE BEACH』 | プレオーダートレイラー

これは発売前からかなり話題に上がっていましたね。デススト2PVでは謎の男が登場。作中でニール・バナという名前が発覚します。PVでは穏やかなたたずまいから、バンダナを巻き、雰囲気も一変、不気味なものになります。その見た目がMGSの主人公、われらがスネークに酷似しています。
発売前話題に上がっていたものの、プレイ後現在もなぜスネークに見た目を寄せたのか、私はよくわかっていません。単なるファンサービスなのか、それともこれもまたメッセージがあるのか。
意見のある方是非教えてほしいです。考察大歓迎です。

ヒッグスとのラストバトル

引用:『DEATH STRANDING 2: ON THE BEACH』 – ファイナル・トレーラー

これはプレイしていて沸いたプレイヤーも多いのではないでしょうか?デススト2で、サムはビーチへ乗り込みヒッグスとのラストバトルに挑みます。その様子が、MGS4のオールド・スネークVSリキッド・オセロットのバトルに酷似しています。体力ゲージが表示され、巨大BTの上での肉弾戦。そして「待たせたな」「まだだ、まだ終わってない」というセリフ。あの10分かそこらで多くのオマージュ要素が散りばめられています。

個人的にオセロットは心酔するビッグボスのために、自分を偽り自死を選んででも行動するという信念のある兵士だったの対して、ヒッグスはフラジャイルを裏切り、アメリに裏切られ、その後ルーとフラジャイルを襲い、挙げ句の果てに追い込まれるという自業自得のクズだと思っているので、あんまり一緒にして欲しく無いですね。
(アンチじゃないです、オセロットが好きなだけです。)

設定とテーマの共通/対比構造

デスストシリーズとMGSシリーズは様々な点で共通点・相違点が描かれているように感じます。ファン故の勘繰りという気もしますが、あの方であればそこまで作りんでいるだろうと思わせるのが、小島監督のすごいところ。
あくまで私の主観ですが、これらの作品は下記の対比構造を感じさせます。

テーマデスストMGS
敵対関係①サムとクリフ(親子)ソリッドとBIGBOSS/リキッド(親子/兄弟)
敵対関係②生者と死者人間とAI
孤独コミュニケーションの断絶単独潜入
対消滅のリスク発見されるリスク
所属組織からの独立国からの独立
世界観大量絶滅による支配戦争経済による支配

思いつく限りでも上記がありました。また最も大きな相違点として描かれているのが、2人の結末です。スネークは組織に所属し、疑問を抱き、そして独立をしていきます。サムは孤独に生き、つながりを改めて認識し、他人と共生をしていきます。MGSは共生→独立、デスストは独立→共生と見事な対比構造となっています。

最後に

2025年8月28日にMETAL GEAR SOLID Δ: SNAKE EATERが発売されました。一方でデススト2は2025年6月26日発売。非常に日程が近いんですよね。小島監督は自身と考えが合わず退社した、コナミ社へある種意趣返しとして、日程を近づけたのではないか、それぞれがリリースする作品での全面対決を仕掛けた。

なーんて思ってたりもしました。
ですがデススト2をプレイして、その考えが誤りだったことが分かりました。ここまでMGS要素を織り込んでいるのに、作品を貶めるようなことをするはずがない!
むしろMGS要素を入れることで、改めてファンにMGSを想起させ、MGSの再興に一役買っているのではないでしょうか?
きっとそんなことはないのでしょうが、そこまで妄想せずにはいられない。それほど愛が詰まった作品でございました。

ここまでご覧いただきありがとうございました。

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